【自分探しの本】十二人の死にたい子どもたち 沖方丁
十二人の死にたい子供たち。なんとも酷いタイトルと、白い背景に時計が描かれた装丁が、命の残り時間を示してるようで、目を惹いた。
―――十二人の死にたいという願望をもつ子どもたち
廃業した病院にやってくる、十二人の子供達は、自殺志願者を募った「自殺サイト」を通して集まった。
しかし、そこにはすでに一人の少年が横たわっていた。彼は一体何者なのだろうか・・・。
誰か先に来たものが殺してしまったのか、それとも誰かが、来る前に自殺してまったのかもわからない。
自分はその少年が死んでいる場所に来てしまっている。自分が、殺したいう容疑をかけられてしまうかもしれない・・・。
――― 対極する位置にいる、二人の自殺志願者
僕は、死生観と向き合うのは一人では難しいと思っています。追い詰められた状況の時、自分を客観的に見ることが難しいからです。
このストーリーを例に沿って見てみると、自殺したい少女の理由が「追っかけをするほど、好きなタレントが死んでしまったなら、自分も後を追う」という後追い自殺だとする。
当のタレントは、稼業に疲れ果てて死を選ぼうとしている。
対極する位置にいる二人ですが、ここでは等しく自殺志願者として並んでいる。
この二人が、十二人の中に一緒に居たらどうなるであろうか。
少女は「え。そんな理由で死にたいの?」
タレントの子は「え。君こそ僕なんかのために、後追いして死にたいの?」
となって結果二人の命は助かるように思う(笑)
理由を相手に話すことによって、自分を相対比して見ざる得なくなる。
そうしていくうちに、いつのまにか自分のことを、客観的に見つめることができるようになると思う。
―――「常識」とは別の個人の価値観
本作では、話し合い繰り返し行われる。子ども達は、個人の価値観は「常識」とはまた別の価値観であることを知ってゆく。
彼らが出す結論。この集いの本当の目的とはなにか‐‐‐。子ども達が初めて触れた世界の瞬間を、大人達も忘れてはいけない。